時田直善 祝舞 本物

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時田直善の祝舞祖父が購入後保管しておりました。長期自宅保管品です。木箱に少し歪みがあります習志野文化ホールの開館記念時に販売されたものです。とても貴重です!61×28cm時田直善房総の自然をこよなく愛し、多くの名作を生んだ千葉県を代表する日本画家。直善氏は、明治40年に市原市(旧五井町)の足袋製造業者の家に生まれる。関東大震災のあった大正12年、17歳のとき、足袋布裁断機で両親指を切り落としてしまう。父親は、針を持てない手を見て、「足袋屋はできない。絵でもかかせるか」と嘆息した。しかし、これを聞いた直善氏は、これで好きな絵がかけると踊り上がって喜んだという。親指がないハンディキャップを抱えつつ、大正13年、川端画学校日本画科に入学する。その後の努力は大変なものだったと想像されるが、昭和元年、川端画学校を卒業、その後、蔦谷龍岬の鐸鈴社に入門し昭和2年まで画学に励んでいる。昭和3年より、千葉市吾妻町で時田洋品店の経営にあたったが、商才を発揮し、意表をつく商法で営業成績を伸ばしていた。昭和11年、千葉県美術協会の発足と同時に会員となるとともに10年ぶりに絵筆を執り、同年に開かれた第1回千葉県美術協会展に、何気なく描き上げた「鵜の森」を出品する。この作品に対する評価は高く、引き取りたいという人も出てきたということである。直善氏の、画業への思いは再び燃え上がり、同年、第8回青龍社展に寝る間も惜しんで描き上げた「浜上がり」を出品し、初入選を果たした。その時、川端龍子は、「・・・・・波荒き外房の動的なものと対照して、その平和な静的の漁村の娘にも迫っている逃れられない生活苦―婦女題材のうちにそういった同情を向けての画因だ」と、高く評価している。また、龍子は、堂々「時局的なものに敏感であれ、生活の中から題材を得よ」と主張しており、直善氏の絵はまさにその実践となったのである。昭和12年、結婚を機に習志野市津田沼に転居し、アトリエを構え創作活動を本格化させる。その後、青龍社の四天王と称されるようになった活躍は、略歴に記載したとおりである。房総の自然をこよなく愛し、多くの名作を生んだ千葉県を代表する日本画家。

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